こもごも

日曜日

今日も一日中家にいた。
起きてごはんの用意をして、父と姉と食べる。姉はその後出掛けていった。父とぺーちは散歩に行った。その間私は本を読んだり寝たりしていた。
夕方ごろ夕食の用意を始める。今日はきのこソースのハンバーグとイカ炒めとお味噌汁とごはん。お味噌汁とごはんはお姉ちゃんにやってもらった。ハンバーグはうまくできた。最近ハンバーグうまくできる。というより、あれは失敗しないのではないだろうか。
食後はお風呂に入って「きのとや」のケーキを食べた。今日もお腹の調子は何か変。すぐにお腹いっぱいになってしまって困る。
姉をmixiに招待してみた。まずいことは書いてないよな、うん。姉とネット上でつながりができるのは初めてだ。このブログも教えてないし、もう一つのほうも教えてないもの。
何というか実家に帰ってきて、自分の両親がどういう人間なのかということについてよく考えるようになった。子どもの頃は親は何においても基準なので、その絶対性を疑ったことはなかったのだが、この歳になるとそうも言ってられなくなる。やっぱり自分の両親とはいえ、偏りがあるなあというのを感じることは多い。親心、というものなのだろうか。
とりあえず端的に言ってしまうと、私は不満なんですよ。ええ。だって一言も褒めてくれないんだもん。よく考えたら、何かの結果に関して素直に褒めてもらったことって一回もない。とりあえず、否定から入る。他の子との比較から入る。そういう語法なんだと思う。まあ私も人のこと褒めたりするの苦手だから、その血は確実に受け継いでるんだろうけど。でも私はそれに気づいてるから、褒めるべきところだと思ったり、すごいと思ったりしたら素直に言おうと心がけている。でもあの人たちは自分が「自分の子どもを褒めない人」だということに気づいてないんだと思う。もしかしてそういう教育方針なのか?
だって人生で初めて、自分なりにがんばって成功したなと思ったんだよ就職活動は。でも母の言葉からはやっぱり「またそうやって勢いで決めて。ほんと浅はかなんだから。」というメタ(というより直接的な)メッセージしか伝わらない。とりあえず決まらないよりはよかった、とは思ってるだろうけど。「やりたい仕事」を探すなんて、バカじゃないの?と思ってるんだろう。その点では福利厚生を重視して決めた姉の方が賢い、と思っているようだ。その姉も職場のレベルの低さと業務のストレスにうんざりしてもう辞めようとしているのだが。そしていまだに「あんたが行きたいって言うから、心理学の勉強ができる大学に出したのに、何にもならなかった」というようなことを皮肉っぽく言ってくる。まるで私が騙したような口ぶりなのだが、そんなに悪いことをしたのだろうか私は。いや、確かに経済的な迷惑をかけたという自覚はあるけど。
「褒め」に餓えてるから、この歳になってもやっぱり親の反応が気になるという事態。もう自分が満足ならいいじゃない、とも思うんだけど(Mさほにも親の言葉の影響の妙な強さについては指摘されているが)、単純に悲しくなってくるんです。なんで褒めてもらえないのかなあって。そんなに私はダメかなあって。この程度のレベルで褒められたいと思うことが、そもそもおこがましいのだろうか。
こうなったら、仕事で人生を充実させて私の選択が間違ってなかったことを証明しなければならないと思う。「見返す」というと何だかネガティブだが、それで結果的に自分の成長につながればまあいいか。負の感情が動機になることもあるさ。普通に仕事に関しては今からすごく楽しみだし。
読み返すと何だかひどい親子関係のようだが、基本的には仲良しです。すごく大事にされてるなあとは思うし。孝行せねば、とも思う。まあ私がもやもや考えてるだけなんだと思うけどねー。にょー。