山野舞子

土曜日

寝ていたらお姉ちゃんが帰ってきた。アジの開きとかお漬物とかの朝食を食べた。
あとは一日中本読んでるか寝てるかだった。しあわせ。
夜ごはんはラーメンサラダと寿司だった。ラーメンサラダはうまい。でも昨日からなんだかお腹が変で、お腹空かない。そしてちょっと痛い。何なんだろう。せっかく実家にいて美味しいものがたくさんあるのに、食べられないのはちょっと嫌な感じだ。
「ぼくは勉強ができない」(山田詠美)を久しぶりに読んだ。そりゃもう高校生の時からだから5年ぶりくらい。久しぶりに読んで、この本に対する感想が変わっていたことに驚いた。私も年をとったもんだ。秀美くんのことを「生意気だなあ」と思うようになっていたのである。あの当時は憧れしかなかったのに。大好きだったのに。でも今は「こんなこと言ってくる高校生がいたら腹立つだろうなあ」、と素直に共感できなくなった。これを「面白いから読んでみて」と手渡したら母が読んでから何やら不機嫌だったのも、姉が「あんた勇気あるね。」と言ってきたのも、今ならよく分かる。別に反抗心を暗に伝えようと読ませたわけじゃないんだけど・・・ごめんよ、母。
一つには、大学に入って自分自身にも恋人ができ、自分なりの恋愛規範やリアルな性規範が確立したことが原因だと思う。やっぱり高校生のうちから放課後やりまくり、っていうのはどうかと思ってしまうのだ。あと、桃子さんが昔の彼氏と性的行為をしていたことを悪びれもなく秀美くんに言ってしまう、というのもやっぱり納得できない。付き合っている人がいるのに、他の人とそういうことをしてしまうのはやっぱり心が痛むべきことなのではないか(私が言うな、という感じだろうが)。でもそのことに関して「あの時私は素敵な時間を過ごした。黙っていたことだけを謝る。」というのは、やはり理解できない。行為自体については全く謝らないんだもの。しかも秀美くんも「そういうもんなのかあ」と納得しちゃってるし。その後何のわだかまりもなく、よりを戻すし。なんでだ!この辺は作者との意識の違いなんだろうなあ。
もう一つは、私は秀美くんみたいな人が好みだと思っていたのだが、そうではなくて私は秀美くんになりたかっただけなんだ、ということに気づいたからだと思う。ああいう、こましゃっくれていて、飄々とした顔の整った男の子、が好きだと思ってたんだけどそうじゃなかった。ああいう風になりたかったんだ。ああいう男の子に。女の子じゃだめなんだよね、それには。しかもそういう男の子になるのは不可能なんだってことに気づいた。今更だけど。それに気づいてしまったので、もう昔みたいに「ああ、なんてかっこいいんだろう!」と夢中になって読めなくなった。今でもお母さんやおじいちゃんはいい味出してるなあって思うけど。
そんなわけで自分も変わったなあ、と感じた一日だった。ちゃんと恋愛したことなかったんだもんなあ、高校生の私は。感じ方も違うさ、そりゃ。でもやっぱりこの本はおもしろい。出てくる人がみんな、人間に対する洞察深すぎ。会話も絶妙だし。秀美くん家族の会話とかすごいよね。あれはいいわ。あの良さがいまならわかる。改めて、「自分が自分である」ことを確立する必要に迫られている今読んだ方が、深く分かることも多かった。遅ればせながらなんですけれども。こういうのってみんな高校生くらいにすませておくのかしら。恥ずかしいわ。意識しなくてもぼやーっとここまでは来れたもんだから。でも社会人になるにあたって、自分が自分だっていう自信がないと何も始まらないし、何も越えられないんじゃないかっていうことにぶち当たってしまった。その土台がない人の底の浅さに気づいてしまった。実は親との間にちゃんとした関係を築けていないことにも気づいてしまったし。
何かもっと頑張りたいんだよなあ、わたし。