おまえはだめだ

木曜日

昼頃起きて、朝ごはんを食べた。ベーコンエッグを作って、アフタヌーンティのパンと一緒に食べた。アフタヌーンティのマフィンは美味しいなあ。ベーコンもやたら美味しかった。オリジナルを読んでいたら、警察から電話があった。捕まえた泥棒が、うちのマンションにも入っていたらしくうちの鍵を持っているとか。管理会社に問い合わせたら、その鍵はうちの前に住んでいた人のマスターキーで、うちの鍵とは違うらしい。よかった。ちなみにその泥棒は違う部屋に入って「正露丸」を盗んだらしい。そんなもん盗まれてもわからんよ。
ぺーちの散歩に行った。北海道の空気は湿気がなくて気持ちがいい。その後買い物に行ってごはんを作った。鮭高菜チャーハン。美味しく出来た。母に警察の電話のことを言ったら、「それほんとに警察?怪しい。そもそもなんでケータイの番号知ってるのかしら。」とそこに電話をかけて確認していた。そう言われれば色々怪しかったが、公式ホームページに出ている番号と同じだったので、たぶん本物だろう。
ごはんを食べてから話をしていたら、友達の進路の話になったのでMゆきが国Ⅰに受かった話をしたら案の定とても羨ましがっていた。「なんであんたはそうならなかったんだ」という流れになってきたので、昨日母親のせいで精神的に追い詰められてリストカットをするようになった女の子の話を病院で読んだのもあって、これは何か言ってやらなければと思い、泣きながら「何だか失敗作だと言われているような気分だ」と言うと、
「そうだよ、失敗も失敗、大失敗だよ!!どんな思いして仕送りしてると思ってんの!!泣きたいのはこっちだよ!!苦労して東京の大学まで出して、ベンチャー企業だよ!!あんた自分で何ていったか覚えてる?東京でしか臨床心理士になれる大学院はないって言ったからO大に出したのに、それも諦めて、公務員目指すかもとか言ってたのにそれもやらないし!いっつも目先の事しか考えないで物事決めて!!ちゃんと考えてるの!?周りにはそうやって、国Ⅰ受かったり幼稚園の先生になろうとしてる子もいるのに、何でそう育たなかったのか・・・楽な方へ楽な方へって・・・。これは私の教育がちゃんとそういう方向に努力するように育てられなかったって事でしょ、違うかなあ?!」
とまくし立てられ、身体が震えるほど憤った。もう前述の本の女の子みたいに、目の前で包丁で自分の手首でも切ってやれば、「大事なのは私があなたの基準で「失敗」か「成功」かなんかじゃなくて、親に「失敗」だと思われていると思いながら生きるのがどんなに辛いかってこと」をわかってもらえるかとか思ったけど「ごめんなさい」と泣くしかできなかった。
2階の部屋へ戻り、色々考えたけれどどうにも泣けて止まらなかった。うちの親は子供が自分の思い通りに(もしくはその期待を上回るほどに)育たなければ「失敗」だと考えるような人だったのだ。そういう価値観を持った人だ。そもそも子どもの育ち方が「失敗」か「成功」か考えない、子どもの存在そのものを静かに肯定できる親もいるだろうに、そういった概念は彼女には無いんだろう。子どもが自由意志をもった一人の人間だという考えはないんだ。その子のする選択は、自分の価値基準に合っていなければ「不正解」とみなす。そういう人にもう何を言ってもわかってもらえないんだろうなあと思った。
とりあえず私は金をつぎ込んだのに、医者にも公務員にも大企業の社員にもならなかった「失敗作」らしい。進学校を出て国立の四大を出て毎日大学行って教員免許も取ってちゃんと就職活動して正社員になっても、評価は「不可」ですか。あの人は上としか比べないから、どうしても私は「下」の評価を受けるしかない。ちょっとこのまま東京に帰りたくなった。でもそのお金もないしな。私にできることは、働き始めたら即座に今までかかった養育費を全額返しにかかること。そして一生仕事をして人生を充実させ、あなたの想定する以外のルートでも自立して幸せに暮らせるのだ、ということを証明することだ。その成功を見届けるまでは死なずにいて欲しいと思う。
その場にあった「ノルウェイの森」の下巻を読んでいたら少し心が落ち着いてきた。村上春樹を読む、というのはこういうときの対処法としてかなり良い気がする。その中に「自分に同情するな。自分に同情するのは下劣な人間のすることだ。」という一文があり、非常に身につまされた。今まさにそうなっていたからだ。自分がいかに可哀相かという証拠を集めることほど、無益なことはない。私も永沢さんのように、ただ努力をするべきだ。母も可哀相な人なんだ。そして私のことを愛していないわけではない。それはとてもよく分かる。それと失敗作であることは別なのだ。ただ私をそのまま肯定するという概念を持ち合わせていないのだ。
その後、「お団子食べないの?」と呼ばれたので、下に行った。そして何事もなかったように、母と私はお茶を飲みながらお団子を食べた。いつもと同じ結末だ。でも私はこの日のことを一生忘れないと思う。