喧嘩上等

月曜日


朝から某企業の説明会&一次選考。みんな受けにいくというあそこである。眠い。しかもものすごく寒い。地下通路ずっと歩いてたから大丈夫だったけど。まずは社長の話。かなり強烈キャラだ。合わないと感じる人もいるだろう。面白い人ではあると思うが。人事の人はかなり場を盛り上げていた。話術が巧み。選考は他己紹介というもの。隣の人を紹介するのである。こういうグループワークをやっていて気付くが、私はこういうときにかなりの率で笑いをとりにいく。笑わせないと気がすまないのである。今回も隣の人をだしにして笑いをとらせていただいた。隣の人も満更でもなさそうだった(と思いたい)ので、良かったんじゃないかと思う。いつからこんな芸人体質になったんだろう。普通のこと言うのに耐えられない。いや、普通のことも言うけど。ペンを貰って帰る。
学校に行ってお昼を食べる。親子カツそば、という謎のメニューに挑戦してみる。チキンカツの上にどろどろの卵が乗っているおそば。何だこれ。と思ったのに、意外と美味しかったのでちょっと悔しくなる。たまにこういう当たりの珍メニューがあるから食堂は侮れない。
図書館で勉強して(でも6割は睡眠)、4限のテストに挑む。こういうテストだったらいいのにな、というテストそのものであのヒゲの先生への好感度が俄然アップした。ありがとうございました。
早々に終わらせて(でも提出してから間違ってることに気付いた・・)、帰途につく。寒い。近所の本屋でよしながふみの漫画を買う。こちらとしては「よしながふみの漫画」を買っている意識だけど、傍から見たら「やおい漫画」を買ってるようにしか見えないことに気付いてちょっと衝撃を受ける。もういっそのこと彼氏もいなくて腐女子街道まっしぐらのリクルートスーツの22歳女子、という設定だったらちょっとドラマ性あるなと思ったりする。東京事変の大人(アダルト)も買う。初回版が手に入った。
家に帰って、CDを聞きながら買ってきた漫画を読む。片方は普通の話、片方はもろホモマンガであった。うーん。こんなん家に置いてていいのだろうか。でも相変わらず人物描写とストーリー展開のうまさはずば抜けている。おもしろい。
ちょっと寝て、晩ごはんはリンゴと水。ダイエットかよ、という感じだけれどお腹がすかないときはこんなもんだ。レポートに取り掛かる。朝までには終わるだろう。明日は16時からまた選考。それで説明会、選考ラッシュは一応ひと段落。今後は3,4〜日に1回のペースに落ち着いてくれるはず。
選考会の帰りに「努力」について考えていたが、自分に努力が足りないと感じるのはひとえに「結果」を出したことがないからだと思う。努力というのは相対的なもので、「これだけやった」というのは何らかの結果が出ない限り判断できない。オリンピックは参加するだけじゃやっぱり意義はないのだ。しかしその「結果」も自分自身が満足しない限り、努力したという裏づけにはならない。この就職活動で私がどこかの企業に入ったとしても、努力したなあという実感は得られないと思う。このままやっていてもきっと私は過労で倒れたりしないし、精神的に追い詰められて鬱になったりもしない。そういうわかりやすい「努力の末の結果」(悪い方だけど)みたいなものは、私が無意識にバランスをとる人間である限り有り得ない。じゃあどうすれば「自分はよくやった」という実感が得られるのかと考えると、それがよくわからない。大学に合格した時も、確かに盆も正月もなく毎日勉強はしていたが、そんなに自分が努力したという実感は得られなかった。俗物的な考え方だが、すごい倍率を勝ち抜いたと言う数字や世間的な価値が高い、そういったことがはっきりしていないと満足できないのかもしれない。そしてやっぱりそれを親に認めてもらわないとこのもやもやからは抜けられないのかもしれない。

「変態少年−純の幸福な日々」という漫画が読みたい。「Agostini」でごはん食べたい。